2006年7月 5日 (水)

里見八犬伝

 当時の盛況ぶりについては、「五百頭もの牛が集まり、
毎年春の気候のよい晴天の日に三日間連続して開催された」と記されている。

「観る者(中略)食を忘れ、愕然として肝を落とし、日の傾くを覚えずして、
奇なり妙なりと称える声は、かのこがらしに鳴る海の如く、又遠山の雷を聞くに似たり、
実に是、北国中の無比名物、宇内の一大奇観なり」

「~たちまち角を突き合わして、押しつ押されつ挑みあう。汗は流れて四足を伝い、
蹄は踏みとどめて大地に滅し、血走るまなこは燃えるかと怪しみ、鍛えなす首骨は、
折るるかと思うばかりに組合しては、振りほどき、また組合して~」

これは闘牛について書かれたほんの一部。
全体はかなりの長文で闘いの様子が手に取るように描かれている。
闘牛を見物した滝沢馬琴がいかに驚嘆し興奮したかが伝わってくる。
ちなみに滝沢馬琴に「闘牛」の凄さを伝えたのは「北越雪譜」の著者、鈴木牧之である。

(注・読みやすいように漢字をひらがなにするなど一部変えてあります。)

古くから神事として

古くから神事として山古志に伝わる闘牛。

「南部鉄を売りにきた人が鉄を背負ってきた牛を置いて行き、
その牛が闘牛を好んだから」。あるいは、「農作業や荷物の運搬をするために家々で飼われていた牛たちの強さを競った」。などの言い伝えがあるが、はっきりとした起源は定かではない。

闘牛は「角突き」とも呼ばれ、「強い牛を育てたい」という願いや、
闘牛を通して家々が繁栄するように祈りが込められた神事として大切に守り伝えられてきた。

その勇壮な闘いぶりは、江戸時代に滝沢馬琴が著した『南総里見八犬伝』の中にも登場する。

戦後、闘牛は一時、中断したこともあるが途切れることなく、再び復活した。

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